明治29年(1896年)、丙申堂は貸金業のお店兼住居として建てられました。この年の干支が丙申(ひのえさる)にあたることから「丙申堂」と名付けられました。

明治29年(1986年)、今から120年以上前、風間家 七代目幸右衛門が住居と営業の拠点として建築した建物です。
ここは藩政時代に禄高1400石の家老松平武右衛門家があった土地であり、明治20年代に風間家が取得したと伝えられます。

建築当時の屋敷は、4周を道路に区切られた約1万3000平方メートルに及ぶ敷地を有していました。現在は中心施設が建つ南西部分が残っています。

各部の意匠も優れた質の高い住宅建築です。


主屋は桁行全長に渡る「とおり」を配した平面や、広大な板の間の架構、杉皮葺き石置屋根などの特徴を持つ、明治期の庄内地方を代表する近代和風建築です。土蔵など、同時期に建てられた良質の付属建物も残っており重要な文化財となっています。

国指定重要文化財

南に面する主屋を中心に、北東に小座敷、南側の道路に面して表門と前蔵があります。
平成8年12月 丙申堂の主屋が山形県内で国登録有形文化財の第一号として登録されました。

平成11年6月、表門、前蔵、中蔵・奥蔵、風呂場・便所、西側板塀が新たに国登録有形文化財に登録されました。

その後、平成12年(2000年)12月4日には、再現することが容易でない、国土の歴史的景観に寄与しているなどとして、主屋、小座敷、前蔵、中蔵・奥蔵、風呂場・便所の5棟が国指定重要文化財に指定されました。